特定非営利活動法人 地球の木(認定NPO法人)は、横浜市に事務所を置き、神奈川県を中心に、 ネパール・カンボジア・ラオスの人々とつながり海外支援活動をする国際協力NGOです
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ブログ ‘地球の木 Cafe'

2013/9/13(金) 「田島さんの瀬戸内国際芸術祭の作品見てきました!」
〜大島の「青空水族館」〜
沼田由美子

 芸術祭の夏季の期日が終わる寸前の8月の末、田島征三さんの作品「青空水族館」を見に香川県の大島へ行ってきました。 岡山駅から、「JR瀬戸大橋線」のマリンライナーで1時間、高松に到着します。瀬戸大橋を渡るのは初めてだったので、それも楽しみに していました。JR高松駅から徒歩5分あまりの高松港から「大島」までは、20分ほどですが、小さな船が1日に4便ほど往復している だけです。うまく希望の船に乗るには、当日できるだけ早くに港近くの芸術祭案内所に行って、往復の乗船券を手に入れなければなりま せん。驚いたことに船は、大島の入所者・職員が使用する目的の官用船なので料金はとられません。私たちは希望していた便がとれず、 午後の便になってしまいました。

 でも、そのおかげで、午前中はやはり高松港から20分くらいで行ける女木島(桃太郎の鬼が島伝説が ある)を訪れることができました。そこでもいくつかの芸術祭の作品が展示されていました。

 午後、いよいよ大島へ。大島全体が、国立療養所大島青松園であり、今もハンセン病回復者の入所者が静かに暮らしています。 船を降りると芸術祭実行委員の方が出迎えてくださり、同じ船で来た20数人が2グループに分かれ、委員のていねいな案内でゆっくり ゆっくりと島内を見学しました。ハンセン病のために社会的差別を受けて強制隔離され、この島で暮らし亡くなっていった多くの人たち の悲しみや苦しみの声がどこからか聞こえてくるような感じでした。


 最後は自由に、入所者の寮だった古い小さな建物に展示された芸術祭の作品を鑑賞です。 私は「青空水族館」に何度も出たり入ったり、そして遠くから近くから田島ワールドを堪能しました。この大島の歴史を知ると、田島さん が大島に作品を出展したことや、人魚の涙の意味のひとつを理解できたような気がしました。 受付があって人がいるわけでもありません。外からも見えるし、夏空のもと田島さんの「海底の世界」が繰り広げられる「空間絵本」でした。 その中の一つ、小さな窓から覗いた「深海のミジンコたち」の部屋を私はぜひもう一度見てみたいです!

おだやかな瀬戸内海、静かに横たわる島々、その中の「大島」、そして「青空水族館」、暑い1日で疲れましたが、充実感を抱きながら岡山に 戻りました。


2013/4/22(月) ラオスプログラム報告会 in 鎌倉
中野真理子

4月12日に鎌倉のNPOセンターでJVCラオスの現地スタッフによる報告会が開かれ、グレンさん、 ホンケオさんらの熱の入った報告に17人の参加者が聞き入った。
初来日のホンケオさんはパワフルで笑顔のすてきな若い女性。 JVCの活動報告に加えて、彼女の出身村で実際に起こった話をしてくれた。 その村はJVCの支援村ではないため、ホンケオさんが自分の持てる力を発揮して個人的に村人を応援している。

JVCラオススタッフのホンケオさん
突然村に道路が通ることになったと告げられ、郡のブルドーザーがやってきて家をつぶされたり、 移動するようと言われたりした。移動するようにといわれた家は、そこはラオスの高床式の家、 20人ぐらいの隣近所の人が出て、土台を持ち上げ、よいしょよいしょとみんなでずらしていくのだ!! その家主は、「みんなに手伝ってもらったお礼に御馳走をふるまわなくてはいけない、大散財だったのに 何の補償もないのよ!」と怒っている。他にも大切な田んぼや養魚場もつぶされて道路になった。 しかもその道路は、村人にも外部からも役立つ道路とは言い難いらしい。 その郡の役所がある地域なので、道路がなければ恰好がつかないという発想で造っただけではないのかというような代物らしい。行政側からは何にも村人に 説明がないままで、また何の金銭的補償も行われていない。 ホンケオさんは、JVCで学んだいろいろな法律や権利を村人に伝え、さらに郡の役人たちにも掛け合ったが、 役人たちはそういった法律や権利があることすら知らなかったという。 村人は何度も郡の役人に交渉に行ったが、国の発展のためには土地を差し出すのは当然だろうという程度であったらしい。

ラオスプログラム報告会
ホンケオさんによれば、村人の望んでいることは、「政府は、村の現状についてもっと知ってほしい。 そして自分たちの未来については自分たちで決めたい、政府の開発に村人も参加させてほしい」ということだそうだ。
ふと日本もこういったプロセスを経てきたのだろうかと思う。 一党独裁で民主主義がまだ根づいていないラオスで、少しでも村人に行政や企業と交渉できる力をつけてほしいと、 住民主体の開発をめざして、ホンケオさん達は日夜頑張っている。

この村同様、JVCの対象村でも産業植林による土地問題が起こっており、 その結果として起こる森林の減少が村人の安定した食料確保を難しくしている。 こういった問題の解決には、国の体制も関わることなので結果が出るまで時間もかかり簡単ではない。 目に見えるわかりやすい支援ではないが、村人のパワーで変えて行けるよう、地球の木はこれからも応援していきたい。


2013/3/25(金) 未来の食卓 〜お米が食べられなくなる日が来る!?〜
乳井京子

黄砂の飛来が騒がれた3月10日、実は北関東が発生源だったという砂嵐と花粉の吹き荒れる中、リセットcafeで、「未来の食卓」 のワークショップが開催された。

場所は横浜、伊勢佐木町。青江美奈の「伊勢佐木町ブルース」とゆず誕生の地として全国に名を馳せたショッピング・モールである。 その一角にある瀟洒なカフェは、仕立て屋さんを改造したという。ゆったりと憩える、素敵な空間だった。
「未来の食卓」は、地球の木の出前講座を担当するチームが、昨年夏から勉強し、改良を重ねてきた、「食」に関する参加型のワーク ショップである。中でも参加者の関心を集めるのは、「フードマイレージ」。用意された献立表の中から、一枚を選び、材料が旅して きた距離とグラム数を掛けて計算する。計算結果を比べてみると、誰もが「あっ」と驚く。シーフード・スパゲッティと焼サバ定食で は、ゼロの数が違う!!。輸入品の多い食事と地域で採れる食材を使った食事の差が歴然と現れる。地産地消の暮らしが、環境にやさ しいことが手に取るように解る。

ワークショップの最後には、「お米が食べられなくなる日」というDVDの一部が上映された。「日本の農業を何とか守りたい」と熱く 語る農家の人々、それを支える、先進的な試みをする企業の実例などが紹介された。
未来の食卓を創っていくのは、現代を生きる私たち。ワークショップが終わって、参加者の高校生がぼそりと言った。 「今日は、人生観が変わった……」と。


2013/2/20(月) 地球の木講座「ブータンと日本」
     〜本当の幸せって何だろう〜 開催を終えて…
沼田由美子

 地球の木講座が無事に終了しました。反省点はいろいろありますが、今しばしの満足感にひたっています。
 実行委員会を結成したのは、昨年8月の初め。委員長と言う任を与えられ、「できるかしら?」と不安いっぱいでした。 みんなをひっぱって、何かを企画したり実行したりする経験があまりなかったものですから。

講師の草郷孝好氏
でも、最初から次々と仲間に助けられ、おしりをたたかれながら(笑)、だんだんに「なんとかなる」という気持ちにさせられました。 実行委員のみならず、多くの人が自主的にどんどん動いてくれます。それはそれは、頼もしい限りです。
 次々と講座の参加申し込みがあり、「もう67名です。どうしますか?」という事務局からのあわてた電話に、 私もあわてて「すぐに締め切って!」と答えたのは、講座の1週間ほど前。参加者が少なかったらどうしよう?という心配はなくなりましたが、 会場は、定員63名。当日は欠席者もでるでしょうが、全員の座るところが無かったらどうしよう?と、別の心配が出てきました。 その他、次々に考えなければならないことが出てきて、ちょっとオタオタ。「無事に終わるのかしら?」 消えていた不安が直前になって又大きくなっていきます。

参加者からも意見を引き出しながら…
 当日、地球の木の仲間たち、そしてボランティアの方々が次々にお手伝いにやってきてくれました。みんなたくましく、 すぐにそれぞれの持ち場について準備を始めて下さいます。みなさん手馴れたものです。 それを見て、私は「もう大丈夫、今日の講座は成功間違いなし!」と確信できました。 そしてこれがみんなの言う「地球の木のパワー」なのだと実感しました。
 「人と人とのつながりが幸せをもたらす」という草郷先生のお話、地球の木講座の開催自体が私に幸せを分けてくれました。
 参加して下さったみなさん、そして様々なことでご協力いただいたみなさん、本当にありがとうございました!
   地球の木講座「ブータンと日本」イベント報告

2013/2/11(月) 安井清子さん&ノイさんお話会
〜ラオスの山の子どもたち…見える世界・見えない世界〜
乳井京子

 地球の木で販売しているフェアトレード品の中に、モン族の刺繍グッズがある。色とりどりの糸で刺した小物入れは、 どれ一つとして同じ模様がなく、イベントでも人気商品である。
 長年モン族の村で図書館活動に関わり、モン族の女性たちから託されたグッズをいつもラオスから持ってきてくれる 「ラオス山の子ども文庫基金」の主催者で、エッセイストの安井清子さんのお話会が1月31日にあった。 安井さんには地球の木のラオスの森の絵本プロジェクトでも大変お世話になっている。
   安井さんのモン族とのかかわりは28年に及ぶ。1985年から5年半にわたり、 タイの難民キャンプに作った図書館で本の読み聞かせを行っていた安井さんは、 ラオスの内戦で国を追われたモン族の子どもたちと出会った。モン族には、文字も本もない。安井さんは、 日本から持って行った絵本に描かれた絵を一つずつ指して「ダチ(これ何?)」とモン族の子どもたちに聞いて、 言葉を集めるところから始めたという。そして、モン語に翻訳した絵本のセリフは、丸暗記して読み聞かせを行った。
 文字も本もないモン族に、当然、民話はないと思っていた安井さんは、村に入ってびっくり!村人たちが、 まるで魔法にかかったように民話に耳を傾けているではないか。<言葉が世界を創っている>と直感した瞬間。 これが、モン族の民話集を出版するに至った安井さんの録音活動の始まりであった。
 その後、難民キャンプの子どもたちと「サルとトラ」という民話の刺繍本を作成。ある若い友人の死をきっかけに、 遺族の方からモン族の村に図書室を建設するという話が持ち上がった。建材も思うように入手できない環境、そのうえ、農繁期になると作業は中断する。 小さな図書室が出来上がるのに2年の月日を要した。しかし、それも塞翁が馬で、 モンの家族と共に暮らした2年間が安井さんの後の運命を決めることになる。精霊ピーの存在を信じ、自然にも人にも優しい、 シンプルな暮しを体験することで、初めて、モンの民話の意味を理解することができたのである。 言葉が世界を豊かにし、歌は空間を超えて伝わってくることを肌で感じたという。
 安井さんは、今やすっかりラオスの社会に溶け込んだようで、流暢なラオス語で人形遣いのご主人、ノイさんと話す。 水汲みや薪集めなど逞しく家事を手伝う子どもたちとも心が通い合っていることがDVDの映像からも伝わってくる。 図書室には、子どもたちが、学校帰りや家の手伝いの途中に立ち寄る。心の声に耳を傾け、感性を信じて、 ずっとひとつのことを追求し続けた安井さんの人生のドラマを見たという気がした。
   ラオス山の子ども文庫基金   


2013/1/23(水)「ラオス・森の絵本」完成までの道中記A
武安ますみ

 1月17日、田島征三さんの絵本と木の実の美術館の「ありがとう交流会」に、Mさん、Nさんと共に美術館を応援する者として参加した。
会場となったのは横浜緑区にある「なごみ邸」という貸し会議室でしたが、会議室というより素敵な一軒家で、 ここをわざわざ買い取ってこのようなスペースにしているオーナーさんに感謝です。
   交流会には、ラオスの絵本取材で毎回お世話になっている、そして前日にタイミングよくラオスから日本に一時帰国した安井清子さんとノイ夫妻もかけつけてくださいました。 田島さんや鉢の美術館のスタッフさんたちは、直前まで雪に埋もれた鉢にいたわけで、 安井さん夫妻は雪の降ることはまずないと思われるラオスから、そして他にも日本各地から、年代は1才〜70代まで、 美術館宣伝部長で歌手のおおたか静流さんや多種多彩な人々が約70人集まりました。
 なんという人間の多様性!この集まりは何なんだ!と感心してしまった。 田島征三さんとの関わり方もみなそれぞれに違っているのでしょうが、みんな友達みたいな感じがするところがすごい。 それに、たまたま隣に座った初対面の女性としゃべっていたら、地球の木の活動を通してだが共通の知人がいたり、 田島さんとは全く絡んでいないところで、地球の木とつながる人がいたりして、これを田島征三現象とでも言いたくなるのだ。
 交流会では、絵本と木の実の美術館の設立から現在までの様子を映像で見せてくれた。 はり、いろいろな人が常に関わっていることがよくわかる。田島さんの求心力のすごさを感じる。 また、各人のPRタイムもあったので、地球の木としても、ラオスの絵本のPRと2月の地球の木講座のPRをした。 絵本が完成した暁には、この場所でお披露目会をやりたいなあ、と夢が膨らんだ。
   田島征三オフィシャルホームページ


2012/12/26(水)「ラオス・森の絵本」完成までの道中記@
斉藤和子

 ドタバタ選挙も終わって2012年も師走だ。カリフォルニアに住む娘から電話がかかってきて「がっかりなのよね、 テレビも新聞も見たくない気分」と愚痴ったら「ブッシュが返り咲いた時と同じね」と言う。そうかもしれない。何年前だろう、 アメリカの友人がうんざりした顔で嘆いていたのを思い出した。近場を見ていた目を上げてぐるりと遠くを見渡すと、 "ま、そう落ち込むこともない、自分の信ずるところを今まで通りコツコツやっていけばいいのだ"と思えてくる。
 そういえば、田島征三さんはどうしていらっしゃるだろう。選挙に行けたかな。あの丸いめがねの中の小さな目を光らせて、 何か過激なことをフニャフニャと言ってるかしら、笑いながら。
 今年10月末、誰も行く人がいなそうなので、私は内心「シメタ」という感じで「ラオス・森の絵本、取材旅行」に同行した。
 地球の木は、JVCを通して「ラオスの森林保全」を応援している。先進国の都合で減っていくばかりのラオスの森。 その実情を絵本の力で訴えたらどうか、ということになって、登場したのが田島さんだ。今回の旅はその発案者Tさんと田島さんと私の3人であった。
 本を読んでその著者に傾倒すると、私は"この人に会ってみたいなあ"とよく思うのだが、今回はそれが実現したと言えるのかもしれない。 この知る人ぞ知る、愉快で、かつ気骨のある言動のアーティスト田島さんと毎3食をご一緒し、たくさんの話をした。楽しかったなあ。
 もちろん、ちゃんと仕事もしてきましたよ。私は記録係。まるで真夏といった蒸し暑さの中、一日を有効に動き回って4泊5日。 今回の目的は、絵本の中にラオスの作家の作品も取り入れたいということで、その作家発掘の旅でもあった。 優秀な通訳兼案内人の安井清子さん(この人の"人となり"にも私はそっと感動しました)に助けられ、いもづる式に会えるだけの人と会い、作品を探し歩いた。 どこの場面でも田島さんは―選挙じゃないが―"ぶれない"のであった。タイの絵本作家や、ラオスのイラストレーターの卵の作品を見て発する、 厳しい、だからこそ温かくもある助言。テイストの違うものには目もくれないプロさ加減。
 ところで、この絵本作り活動ははや3年を経過している。いつ頃できるのかって? あせってはいけない。 何しろ田島さんは若くはない体を張って超忙しいのだ。たぶん今は、その行程の真ん中位にいるのだと思う。 「そうだ、これは絵本が出来上がるまでの、その過程がイイのよ。それを楽しんでしまえばいいんだわ」と言った仲間がいた。
 という訳で、絵本完成までの「道中記」を今後も適宜発信していきたいと思います。
   田島征三オフィシャルホームページ


2012/10/24(水) 国連大学神奈川セッションでワークショップを担当  No2
丸谷士都子

 「ネパール『幸せを分かち合う』村づくり〜声なき人々の声とは……」の後半は私が担当しました。 前半では、参加者すべてにいろいろな立場の村人になってもらい、話し合いの輪の中に入れないのは誰かをみんなで確認しました。 では、声がなかなか出せない人の声を聞くためにはどうしたらよいか?
 大勢の人の前、権力のある人の前、年配者の前などでは本当に思っていることはなかなか言えない人がたくさんいます。 そこで、グループに分かれてもらいました。村長さんやその取り巻き、政治家、金持ちの商人など権力者のグループ、 中間層の農民たちのグループ、そしてカーストの低い人たち、女性、子どものグループ。 小さい5つのグループに分かれて、話し合いをしました。村で最も必要とされていることを5つ考え、優先順位を決める作業を行いました。
 ひとりひとりの声を反映させるために使ったのは、農村開発の様々な場面で使われている「参加型農村調査法」の中の2つの手法です。 3つのグループは二項ランキング法、2グループは投票ランキング法を使いました。 二項ランキングは、総当たりランキング法とも翻訳され、2つずつを比べてどちらがより優先するかを決める方法。 投票ランキングは、各自豆などを優先する順に多く置いて投票していく方法です。 後者は、読み書きができないという設定に合わせ、絵や違う色のポスト・イットを使って投票してもらいました。 目の前で投票するので、誰がどのような意見を持っているかも一目瞭然です。こちらはテーブルでなく床の上で作業をしてもらいました。 村では地面に絵を描いて、みんなが見ている前で行います。 「地面の民主主義」と呼ばれる所以です。
 グループごとの話し合いには熱が入ります。村の状況や置かれている立場をよ?く考え、議論をしているので、時間もかかります。 最後に発表。グループによって結果が違ったのがとてもおもしろい!村長とその取り巻きのグループは、観光を最優先としました。 スイスに調査に行き、観光客を呼び寄せて村にお金が入るようにするという大胆な構想です。 中間層のグループは、「トイレ」を優先、また「土地がないために困っている農民を救うために、 土地を分け与えることが最優先」と貧しい村人を思いやる発表をしたグループもありました。 最貧のグループは、「トイレや予防注射」、「土地」と絵を使った図で発表しました。
 それぞれ村人になったつもりで真剣に考えて発表してくれました。その結果、もし権力者だけで決めてしまえば、 多くの村人にとって本当に必要とされていることが見落とされてしまうことがよく理解できたと思います。  終了後、参加者は「声なき人たちの声に耳を傾けることがいかに難しいかわかりました」 「権力のある人たちの意見がどうしても優先されてしまうことを体験できました」などの感想を話してくれました。  (了)

*PRAの実践について知りたい方は、私も翻訳に関わった「参加型開発による地域づくりの方法  PRA実践ハンドブック」(ソメシュ・クマール著 田中治彦監訳 明石書店)をお読みください。 地球の木でも入手できます。

2012/10/11(木) 国連大学神奈川セッションでワークショップを担当  No1
乳井 京子

 地球の木で活動していると、フツーではありえないような体験をします。
 ある日、かながわ国際交流財団から国連大学の「グローバル・セミナー」で講師をしてほしいという依頼が来ました。 将来、国際協力の仕事に携わりたいと希望する大学生や大学院生、社会人が対象だと言います。
 最初は<そんなこと、できるかしら……>と思いましたが、説明を聞いてみると、地球の木が参加する 「かながわセッション」は、海外支援を行っている神奈川の草の根の事例を紹介し、実際的なことを学ぶ場で、 難しいテーマの講義が続く中、ほっとする部分でもあるということでした。
 入念に準備をし、緊張の数週間後、いざワークショップを始めてみると、さすがに書類選考で選ばれた人たちだけあって、 皆とても意欲的で、反応は抜群です!!
 テーマは「幸せを分かち合う村づくり〜声なき人々の声とは……」。地球の木がネパールで行ってきた活動の事例から、 国際支援をする時に、本当に支援を必要とする貧しい人々の声が反映されているか、 村人が自ら決定する仕組みを作っていくにはどうしたらよいのか、を参加者たちに考えてもらうことが目的です。
 29名の参加者各々に、村長、村長の取り巻き、反対派の人々、僧侶、先生、商人、裕福な農民、中間層の農民、貧しい農民、 不可触民、女性、子どもなどの役になってもらいます。村長は偉そうに机の上に座り、 取り巻きの者たちは、村長に傘を差しかけたり、うちわで煽いだり、耳打ちしたりします。 反対派の政治家たちは、村長に対して背を向けて座ります。商人は札束を数え、裕福な農民たちは椅子に腰かけていますが、 中間層の農民たちは床に直に座り、貧しい農民たちは床にひれ伏しています。女性たちや子どもたちはそれぞれ固まって座っています。 ドアの陰から覗いている人たちもいます。村の会議に出てこれない人たちです。 障がいを持った人や高齢者、そして、「ダリット」と呼ばれる不可触民の人たちです。
 さて、村の話し合いで大きな声を出すのは誰でしょう?声なき人々とは誰のことでしょう? 参加者の若者たちは、「僕はマオイスト(毛沢東主義を標榜する人)になる」と反対派の役を自ら買って出てくれたり、 村長は最後まで役になりきって大胆な開発案を打ち出したりで、「打てば響く」というのは、このことだ! と未来に希望を抱くことができる、若者たちとの出会いでした。                次回に続く


2012/9/11(火) 気仙沼はどうなってるの?
  〜 祝!NPO法人格取得 (特活)TreeSeed訪問記 〜 2日目

   ※前回(1日目)からの続きです。

 2日目は、TreeSeedが運営するトレーラーハウス「ごえもんハウス」の見学と「ポプラの木」での昼食作りです。

「ごえもんハウス」
すぐ右が仮設住宅のある運動場です

野球場に建てられた仮設住宅
すぐ左が「ごえもんハウス」です

中はこんな感じ。今日は野菜とお惣菜の販売です


「ごえもんハウス」の三人娘。
「お茶っこ飲みに来てけらいん」


 被災地では、災害によって外出頻度が減ってしまい、"生活不活発病"になってしまうことがあります。 "生活不活発病"とは、「動かない」(生活が不活発な)状態が続くことにより、 心身の機能が低下して、「動けなくなる」ことをいいます。 新潟県中越地震では、被災高齢者1626人中496人が歩きにくくなり、うち4割が5カ月後も回復しなかったそうです。 ここ気仙沼でも、震災後に自宅にこもってしまう高齢者が多くいます(特に男性に多いそうです)。 こういった方々に外に出る機会を提供し、外出してもらうことにより、「動けなくなる」ことを予防することも TreeSeedの大切な活動の一つです。

 TreeSeedが運営する「ごえもんハウス」では、五右衛門が原の仮設住宅の生活サポートを行っています。 気仙沼の市街から離れた五右衛門が原の総合運動場には、310戸の仮設住宅が建てられています。 近くに店舗もなく、交通の便が悪いため、生活するには不便な場所です。
TreeSeedは、この仮設住宅の傍に「ごえもんハウス」というトレーラーハウスを置き、 生鮮品や惣菜などの販売、健康相談、仮設住宅の方々がくつろぐ場所の提供や、住民の希望の多い場所で停車するバスを運行したりと、 そこで暮らす方々の声を聞きながら、さまざまなサポートを行っています。
利用者には生活に不自由するお年寄りが多く、若いスタッフとふれ合う場所にもなっています。 仮設住宅で暮らす方にとって、間近に気兼ねなく話せる人がいる、相談できる場所がある、ということは どんなに心強いことかと思います。元々野球場やテニスコートだったグラウンドの上の住宅は、夏はとても暑く、 冬は底冷えするでしょう。 「ごえもんハウス」のスタッフからは、仮設住宅で生活する方々に これ以上辛い思いはさせないという、強い思いが感じられました。

 さて、お昼は「ポプラの木」の利用者の皆様とのお昼作りです。


「ポプラの木」入り口
「おぢゃっこのんてって!」

利用者さんの作品が壁に展示してあります

今日はみんなでお昼作り
 「ポプラの木」では気仙沼の高齢者が集う場所を提供しています。
書道や手芸、水彩画、将棋、園芸、体操といった介護予防のためのメニューを日替わりで行っているのですが、 ただ「おぢゃっこ」(お茶のことです。わかると思いますが念のため。)を飲むもよし、 話をするもよしといったオープンな場所です。また、この「ポプラの木」では、今後、要支援者のための デイサービスも行うよう、現在準備中です。

 この日の昼食は「横浜DAY」と銘打ち、遥々持参した謝甜記さんのしゅうまい、永楽製麺所さんの冷やし中華などを 「ポプラの木」の利用者の方々に振る舞います。杏仁豆腐用のフルーツなどの細かい食材は地元で調達し、 お皿の上は横浜と気仙沼のプチ融合です。地球の木のメンバーも、度々震災支援の炊き出しを行ってきましたが、 やはり「ポプラの木」にある家庭用のコンロともなると少々勝手が違います。 そこは、知識も経験も豊富な「ポプラの木」の利用者の方たち。 結局、利用者の方に主導していただきながらの調理となりました。

 食後ゆっくりする間もなく、出発です。2日間同行する中で私たち一行の動きが鈍いとわかった運転手さんに 「終電がなくなる」と脅され、後ろ髪を引かれつつも、「ポプラの木」とTreeSeed事務所を後にしました。
 帰りは、またゆっくり行きたいねなどと次の旅を匂わせる話をしたり、 停まるサービスエリア毎にお土産を買ったり、食べたりと、2日間の疲れもなんのその、行きと同様、 賑やかな車内となりました。ただ、TreeSeedの活動を見て感じ入ることが多かったためか、復路では、 今後の震災支援や地球の木の行う支援全般についても多く話されました。

 忙しかった行程をなんとかすべて終えて、横浜に着いたのは夜10時頃。 終電があってよかったねとホッとしつつ、TreeSeedの若者たちにもらった「元気」を胸に、 それぞれの家路につきました。(了)

− お願い −
TreeSeedは現在、会員を募集しています。
今年の7月11日に特定非営利活動法人になったばかりで、活動を継続するためには多くの方のサポートが必要です。 TreeSeedのメンバーは経験は短くとも、被災地で密度の濃い活動を続けてきた若者たちです。 とても前向きで、各々のメンバーに「地元のひとりひとりのためになる活動をしたい」という意欲が見てとれます。
地元の人々のために何かしたいと立ち上がった彼らを、そして気仙沼を、ぜひ、応援してください。
会員、ご寄付のお申し込みはこちらからお問い合わせください。
   (特活)TreeSeed


2012/8/28(火) 気仙沼はどうなってるの?
  〜 祝!NPO法人格取得 (特活)TreeSeed訪問記 〜 1日目

 7月の後半、地球の木の活動メンバーから有志を募って、気仙沼に行ってきました。 気仙沼で活動する (特活)TreeSeed の活動見学と、 TreeSeedが運営する「ポプラの木」の利用者との昼食を作りながらの交流を目的とした、1泊2日の旅です。 宿泊場所もTreeSeedがボランティアの方に提供している「Up+CKurtain」を利用させていただくことにしました。
 早朝にしてうだるような暑さの中、有志12名は横浜に集まり、バスに乗り込みます。とにかく長い道中です。 地球の木で行った震災活動の紹介を挟みながら、バスの中に点在する稀代の話好き数名を中心に、食べたり、話したり、話したりしながら、 一路気仙沼へと向かいました。


海沿いには未だ多くの「がれき」が積まれています
 松島からは海岸線に沿った道を通り、被災地の現状を窓越しに見ながら進みます。 昨年のあの日、海岸近くに住む人たちの有形無形の財産、生活、そして生命を押し流した津波の被災地の多くは、 建物のあった区画を残したまま、何もなかったかのように草がそよぐ更地になっていました。 それでも、所々に積まれている「がれき」の山、そして、壊れたままに残されている建物が被害の凄まじさを思い起こさせます。 ここで暮らしていた方たちは、現在どこでどのように暮らしているのだろうか? 復興が元の生活を取り戻すことだとしたら、まだ何も戻っていないように感じます。


交流会にて。
(わずかですが・・・)NPO法人格取得の
お祝いをお渡ししました。
 気仙沼に着いたのは夕方6時過ぎ。気仙沼プラザホテルの温泉に大急ぎで浸ったあと、 TreeSeedメンバーとの交流会を行いました(TreeSeedスタッフの皆さん、バスの運転手さん、お付き合いいただき、ありがとうございました!)。

 本日のお宿の「Up+CKurtain」はTreeSeedの事務所2階、2段ベッド4台が3部屋に置かれています。 シャワーやテレビ、簡単なキッチンやレンタサイクル(100円/日)もあります。 久々の2段ベッドでの宿泊。学生のころの合宿を思わせるようなしみじみとした懐かしさの中、 初日の夜は更けていきました。

Up+CKurtainの部屋。なにやらエスニック
この日に宿泊したのは地球の木のメンバーだけでしたが、利用人数とタイミングによっては 他のボランティアの方との交流も楽しめるようです。 食事は出ませんが、近隣の旅館やホテルを利用するよりはとても格安で、 学生ボランティアの方も滞在しやすいと思います。 TreeSeedではボランティアのコーディネイトも行っています。 夏休みも終わりに近づき、ボランティアの数も減ってきます。 関心のある方は、ぜひ、TreeSeedまで問い合わせてみてください。
(長文にて失礼、次回に続きます。)

※ 特定非営利活動法人TreeSeedは、東日本大震災をきっかけに地元の若者たちが立ち上げた、 気仙沼のための活動を行うNPO法人です。 地球の木は、震災支援で気仙沼を訪問した際にTreeSeedの 立ち上げメンバーと知り合い、団体の立ち上げ支援を行ってきました。
(特活) Tree Seed



2012/8/1(水) 真夏のこわ〜いお話
米林 大作

   原発なくせ(みなさんいっしょに) 
   放射能はいらない  
   金よりいのち   
   節電しようぜ   

 まだ7月16日に行われた「さよなら原発10万人集会」の余韻が残っちゃってるんです。 私には、イラク戦争以来のデモへの参加でしたが、初めてでした、楽しかったの。 なぜかというと「ちんどん屋さん」の後ろにずっとついていたからです。
 ところで私は6月30日に行われた「生活クラブ風車建設イベント」に参加しました。 地球の木はそこで、NPO団体「メコンウォッチ」の資料を利用して、日本政府が性懲りもなく輸出政策を進める、 ベトナムの原発計画についての問題を、パネルで展示しました。 未来永劫に禍根を残すような原発は、ベトナムであろうが、 ヨルダン、リトアニアであろうが建設に協力すべきではありません。 私はこれらのことと、これまた野田政権が進める「TPP(環太平洋経済連携協定)」への参加が 大変関係あることと考えています。TPPは、関税ゼロを前提とした究極的な自由貿易をめざすもので、 あらゆる分野に競争原理を取り入れ、社会の絆を断ち切るものです。この考えは「新自由主義」ともいわれ、 社会的要素は無視し、市場を最優先に、すべてを「それなんぼ」と考える世界なのです。 詳しくは宇沢弘文著「近代経済学の再検討」や、篠原孝著「TPPはいらない」などを読んでほしい。 大事なことは、これらを進めることでどのような社会がつくりだされるのか、ということです。 というか、すでにかなりおかしくなっていると思いますが・・・。 私には新自由主義は「儲かることはよいことだ」というイデオロギーを 持つ考えに思えます。そのイデオロギーによって、世界を一色に塗りつぶしていく。 八紘一宇の「スメラミコト国家」、ヒトラーの「第3帝国」、スターリンの「共産主義国家」のような全体主義を連想してしまいます。 こんな私は「へんな人?」
政府はこれからのエネルギー政策に対する国民の意見を求めています。
エネルギー政策を変えるため、あなたの意見(パブリックコメント)を伝えよう!

 締め切りは 8月12日(日)18:00 まで
 送り先は・・・
  1. オンラインで送信 話そう”エネルギーと環境のみらい”(政府のウェブサイト)から
  2. FAXで送信   専用ファックス様式に記入して、03-6368-9460 に送信
  3. 郵送 
    〒100-8779 東京都中央区銀座8-20-26 郵便事業株式会社 銀座支店留  エネルギー・環境会議事務局「エネルギー・環境に関する選択肢」に対するパブリックコメント受付係 宛に郵送


2012/7/15(日) ネパールの村の循環型生活
「生活クラブ風車イベント」での地球の木ブースでは、支援地ネパール・マンガルタール村の循環型の生活を展示しました。村の人たちは、NGOの協力と自分たちの資金・借り入れ金で14年前に小水力発電所を建設しました。昼間は水力を使ってトウモロコシや小麦を挽いたり、菜種油をしぼったりするのに使います。日が暮れると発電機を回し、村に電気がつきます。運営は水力発電委員会。電球の数に合わせて使用料を集め、維持・管理費に充てます。貧しい家庭には管理費は安くしようと、これも委員会で相談して決めたそうです
 家畜の糞を使ってバイオガスを作ります。食べ物は主に自給自足。家庭によっては米やスパイスも自分の畑から得ます。共同林も作っており、人口が急激に増えない限りは循環型の生活が営めるでしょう。しかし、自給自足の生活というのは、それはそれで厳しいものだということは想像できます。村の中での助け合いがあるからこそ、可能なのだと思います。
 この村への「エコツアー」を10月に企画しています。ぜひご自分の目で見て、「循環型の暮らし」を体験し、村の人たちと意見交換してみましょう。 2012年エコツアー(スタディツアー)

原発の輸出について
「日本の原発とアジア」の情報も展示しました。経済発展が進むベトナムでは、電力の不足から、原子力発電所の建設が計画されています。そのうち2基は2010年の日越首脳会談で日本へ発注されることが決まりました。

 福島原発事故が起きた後も計画に変更はなく、2011年12月9日、国会で、ベトナム、ヨルダン、ロシア、韓国との原子力協定が承認され、原発輸出へと力が入っています。
 地球の木でも原発輸出反対の署名運動に参加しました。福島原発の事故が解決されない中、そして日本でも将来的には脱原発の方向を目指しているにもかかわらず、その技術を海外に輸出しようという計画には断固反対していきます。

生活の中での試み
 ひとりよがりの電気利用者にならないように、私も行動に移しました。我がマンションはオール電化。残念ながら電気に頼った生活です。1ヶ月の電気使用量は280kwh程度ですが、契約は60アンペア。風車イベントでアンペアをチェックし、まずは50アンペアに下げることにしました。アンペアチェックしたい方は以下のサイトをご参考ください。
東京電力「わが家のアンペアチェック」
個人で購入できるグリーン電力証書もあることを知りました。次のステップはグリーン電力証書の購入でしょうか。
 2012年エコツアー(スタディツアー)

2012/7/04(水) 生活クラブ風車イベントで省エネ宣言!
初めまして。6月からインターンをしているIです! 私は現在、幸せ分かち合いトレードの活動を中心に関わっており、日々勉強しております。

さて先日、地球の木は新横浜のオルタナティブ生活館(通称:オルタ館)で行われた生活クラブの風車イベントへ参加・出展しました! 今回のイベントは、秋田県にかほ市に建設した風車の記念イベントということで、にかほ市の方や生活クラブに関わりのある団体が出展し、これからのエネルギー利用を考えるきっかけにしていく、というものです。

地球の木では、私たちでも実践できる活動紹介の一環と団体の環境関係の活動として
  • 太陽エネルギー利用の紹介(ソーラークラブの方がソーラークッカーを用いて作った  ケーキ数種類の販売、太陽パネルによる散水システムの紹介)
  • ベトナムでの原発輸出反対署名運動の紹介
  • ネパールでの小水力発電の紹介
この3点に絞り、出展しました。 特にソーラークッカーケーキは大盛況で終了時間を待たず売り切れてビックリしました!!

お昼頃、私は風車イベントの記念式典へ参加したり、ドイツの事例として電力供給の独占体制に反対し電力会社を設立する市民活動のドキュメンタリー映画を鑑賞したり、他の団体のブースを見学しました。 今回、とても有意義な時間を過ごすことができました♪
参加して改めて「人と人のつながり」は世界をこえること、「情報の取捨選択と根拠をもって、『今』アクションにつなげる」ことが大事だ、と感じました! 私は生活を改めて5A(アンペア)は最低でも落としたいです!この宣言が、草の根的な小さな活動が茎となり葉となり次の世代へつながっていくことのきっかけになればと思います。

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